痛いところをさするのはなぜ?治療の原点から「気」の考え方まで

東洋医学を知る

ちょっと想像してみてください。

料理中に、包丁でほんの少し指を切った。

本棚を整理していたら、足の上に本が落ちてきた。

子どもと遊んでいたら、テンションの上がった子どもの手がおでこに直撃した。

……最後のやつは、子育て中だと割とあります。笑

さて、こんなとき。

皆さん最初に何をするでしょう?

おそらく、

押さえる。
さする。

こんな行動を自然にする人が多いと思います。

誰かに習ったわけでもないのに、痛いところに手が伸びる。

考えてみると不思議ですよね。

今回はそんな**「人は昔から、身体をどうやって治そうとしてきたのか?」**というところから、東洋医学に欠かせない「気」の話まで進んでみましょう。

痛いの痛いの飛んでいけ

子どもがどこかをぶつけたとき、

「痛いの痛いの、飛んでいけ〜」

と言いながらさすった経験がある人もいると思います。

あれ、単なるおまじないと思いきや、

「さする」という行為そのものには、痛みを和らげる仕組みがあると考えられています。

現代では、その説明の一つとして有名なのがゲートコントロール理論です。

ものすごく簡単に言えば、

痛みのある場所をさすったときに入ってくる「触られている」という感覚が、脊髄で痛みの情報が伝わる仕組みに影響し、痛みの感じ方を弱めることがある、というものです。

もちろん人間の痛みはもっと複雑なので、

「痛いところをさすれば全部ゲートコントロール!」

というほど単純ではありません。

それでも、

痛いところを思わず押さえる、さする

という私たちの自然な行動に、現代の神経科学から説明できる部分がある。

これだけでも面白いですよね。

昔の人たちは「ゲートコントロール理論」なんて言葉を知りません。

でも経験として、

「こうすると少し楽になるぞ」

ということは知っていたはずです。

医学の始まりって、案外こういうところだったのかもしれません。

原因が見えない病気を、昔の人はどう考えた?

切り傷なら傷が見えます。

転んだなら原因も分かります。

でも、

突然熱が出る。

咳が止まらない。

身体が動かなくなる。

意識がおかしくなる。

そんな目で見ても原因が分からない病気に出会ったとき、昔の人たちはどう考えたのでしょう。

古代の中国では、病気の治療に薬や身体への処置だけではなく、呪術的な儀式や祈りのような方法も使われていました。

実際、古代中国の医学資料には、専門的な治療とシャーマニズム的な治療が混在していたことが分かっています。

今から見れば、

「いやいや、悪霊って……」

と思ってしまいます。

でも原因を調べる検査も、顕微鏡も、細菌やウイルスという知識もなかった時代です。

目の前で突然人が倒れたら、

「目に見えない何かがこの人に悪さをしているのでは?」

と考えるのも、その時代としては不思議ではなかったのでしょう。

そして……

「悪いものを祓う」と聞くと、

急に呪術廻戦感が出てきます。笑

ちなみに私はななみん推しです。

ここは1年半経っても変わりません。笑

でも「気」は悪霊が進化したものではない

ここは、以前この記事を書いたときより少し丁寧に説明したいところです。

昔の私は、

目に見えない悪いもの

それがやがて「気」という考えになった

くらいのイメージで書いていました。

でも、これはちょっと乱暴でした。

「気」は医学だけに登場するものではありません。

古代中国では、呼吸、生命、自然、天候などさまざまなものを考えるための重要な概念として「気」が使われるようになり、それが哲学や医学の中でも発展していきました。

だから、

「気=悪霊」でもなければ、
「気=単純なエネルギー」だけでもない。

かなり奥深い言葉なんです。

じゃあ「気」って何?

ここで東洋医学初心者に立ちはだかる巨大な壁。

「で、気って結局なんなの?」

です。笑

これ、勉強を始めたころの私もかなり引っかかりました。

教科書を読んでも、

「気が身体を巡る」

「気が不足する」

「気が滞る」

とか書いてある。

だから、その気は何なんだよ。

となるわけです。笑

「生命エネルギー」と説明されることもあります。

入門としてイメージするには分かりやすいのですが、実際の「気」という言葉はもっと幅広く使われます。

呼吸する。

食べ物を取り込む。

身体を温める。

身体を動かす。

外から身体を守る。

東洋医学では、こうした**生命活動を考えるための概念の一つとして「気」**が使われます。

現代医学でいう特定の臓器や物質と、1対1で対応するものではありません。

ここ、大事です。

「目に見えないから怪しい」で終わらせない

「気」は目に見えません。

だから東洋医学を初めて学ぶ人が、

「ほら出た。怪しいやつ。」

となるのは、私はものすごく分かります。

私もそうでしたから。笑

でも、勉強を続けていくと少し見え方が変わってきます。

東洋医学は「気という謎の物質を信じなさい」というより、

身体で起きているいろいろな働きを、昔の人たちなりの言葉で整理して理解しようとした

と考えると、かなり入りやすくなります。

そして前回の記事で書いた、

人間も植物や川と同じ

という私なりのイメージにもつながってきます。

身体の中で何かが取り込まれ、

何かが作られ、

何かが動き、

何かが出ていく。

全部止まったままでは、人は生きていけません。

昔の人たちはそうした**「動き」や「働き」**を観察して、それを理解するための言葉を少しずつ作っていったのでしょう。

その一つが「気」です。

2000年前の人も身体を一生懸命観察していた

こう考えると、東洋医学ってちょっと面白くなってきませんか?

もちろん現代医学と、古代中国で作られた身体の考え方は同じではありません。

現代の科学で確認されていることと、伝統医学の概念は分けて考える必要があります。

でも、

「人間の身体ってどうなっているんだろう?」

と観察し、考え続けたのは今も昔も一緒です。

痛ければ、さする。

身体に起きている変化を見る。

原因が分からなければ考える。

経験を次の世代へ伝える。

そうした長い積み重ねの中から、東洋医学も形作られていきました。

次は、その東洋医学の超重要ワード、

「気」についてもう少し掘ってみたいと思います。

たぶん一度では終わりません。笑

でもこのブログらしく、

毎日に、ちょっとずつ。

ゆっくりいきましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました